なぜ安田浩一が安部総理を批判する話はこうも心に響かないのか?
首相ヤジ問題:「昔なら内閣が吹っ飛んだ」識者に聞く - 毎日新聞
まず、はじめに。
私自身、ネット右翼だの左翼だのという話にあまり興味はありません。
何故かと言いますと物事の見方が一つであるはずが無いからです。
同じ物事でも切り口ひとつ違えば批判にも賛同にもなることは
誰にでも理解る話だとおもいます。
立場が違えば求めるものも違いますから。
皆さんもそうではないでしょうか?
ここでひとつの疑問が浮かびました。
では何故、この記事に対して賛同することが出来ないのか?
人を理解させるためには道理が必要
人から賛同を得ようと思った時、それなりに筋の通った理由が必要になります。
理由さえあれば、各々が勝手に納得出来ますよね?
ということは、この記事に私が納得出来る点が無いということになります。
私が理解らないと思ったのは以下の点です。
- 「昔なら内閣が吹っ飛んだ」
- 日教組が何故、攻撃されるキーワードなのか?
- 秋葉原の演説中、日教組で熱狂した証拠はあるのか?
- 反日、売国奴が根拠無いというのは誰のこと、どの点か?
- 吉永みち子のこの意見に意味があるのか?
「昔なら内閣が吹っ飛んだ」
昔なら内閣が吹っ飛んだ。
昔とはいつ頃のことなのでしょう?
私は識者の意見が聴きたいのですから、
発言には必ず根拠や理由があるはずなのです。
そのどちらもなく「昔なら内閣吹っ飛んだわ!」なんて言われても
昔のほうが良かったとぼやく近所のおじいちゃんと違いがありません。
日教組が何故、攻撃されるキーワードなのか?
特定の相手を敵と認識し~とありますが
これはつまり、攻撃される言われも無いのに
誹謗中傷の対象になっていると言いたいのでしょうか?
確かに理由なく誹謗中傷されるのは許されるべきことではありません。
ですが、少なくない数の人達が◯◯という理由で
理不尽な言い分もありましたが、必ず理由がありました。
ですから、この記事では日教組が何故敵視されるのかを明示して
その上で反論すべきなのではないかと考えます。
書けないというのであれば、それはジャーナリズムではなく
プロパガンダと何が違うのでしょう?
なにやら彼らの中では、「日教組」という単語
それ自体が差別用語であるという扱いがされているようでなりません。
秋葉原の演説中、日教組で熱狂した証拠はあるのか?
選挙中、秋葉原で演説してた!日教組とマスコミ批判で熱狂してた!
私は見た!
私は識者の意見が聴きたいのです。
子供の感想を聴きに来たわけではありません。
反日、売国奴が根拠無いというのは誰のこと、どの点か?
反日、売国奴というのが根拠ない話だと安田浩一さんは仰っていますが
根拠がないという論を根拠なく語ることがジャーナリズムでしょうか?
◯◯だと彼らは言っているが、◯◯という理由で事実無根だ!根拠がない!
相手を納得させようとおもったらこれくらいの論調は必要なのでは?
少なくとも私は「何の議論も対立も成立しない」とは到底思えません。
吉永みち子のこの意見に意味があるのか?
何度も言うようですが、私は識者の意見を聴きに来たのです。
近所のおばさんの感想と全く同じです。
批判は批判として粛々と受け止め……。
確かに、ごもっともな意見です。
それに対して、「マスコミよ、もっと怒れ」というタイトル。
世論はマスコミが作るものだと勘違いしておられるのでしょうか?
確かに、近頃 日本国民の意見を無視したかのような
論調が多いマスコミ各社ですが
ストレートに言ってしまうのは如何なものでしょう?
作家さんなのですから、もう少し婉曲な表現のほうが
賛同は得られると思うのですが。
まとめ
何度も言うようですが、別に安部総理を擁護するつもりは全くありません。
元々「やじ」は大嫌いですから。
だからといって
何の根拠もなしにただただ、叩きたいという理由だけで
記事を書くマスメディアに同調する気もさらさらありません。
せめて相手に賛同を得よう、納得させようと思うのでしたら
それこそペンを持って戦うべきなのではないでしょうか?